1 はじめに
民法では「公正証書によって遺言をするには、次に掲げる方式に従わなければならない。」とされ、方式の一つとして「遺言者が遺言の趣旨を公証人に口授すること」とされています。
遺言の趣旨を口授するとは、遺言の内容を口頭で述べることをいいます。
もっとも、遺言内容の全てにわたって逐一完全に口頭で述べることが要求されているわけではありません。つまり、財産及び受遺者の特定が可能な程度に述べればよく、例えば不動産登記簿上の表示を正確に述べたり、預金の口座番号まで正確に述べる必要はありません。
以下では、口授なしとされた裁判例を紹介します。
なお、口授は遺言の方式に関する事項になります。遺言無効訴訟では、遺言能力とともに争われることがありますが、審理の順番としては、方式違反があるか、遺言能力があったのかの順に審理されることになります。
2 大阪高裁平成26年11月28日判決
「前認定のとおり、D公証人は、平成17年遺言に係る公正証書を作成するに当たって、事前には、F事務員を通じて被控訴人Y1から示された遺言の案が、Aの意思に合致しているのかを直接確認したことはなく、E公認会計士及びF事務員も同様である。そして、遺言当日も、D公証人が、あらかじめ作成していた遺言公正証書の案を、病室で横になっていたAの顔前にかざすようにして見せながら、項目ごとにその要旨を説明し、それでよいかどうかの確認を求めたのに対し、Aは、うなずいたり、「はい」と返事をしたのみで、遺言の内容に関することは一言も発していない。
ところで、平成17年遺言は、評価額合計が数億円(弁論の全趣旨)にも及ぶ多額かつ多数、多様なAの保有資産を推定相続人全員に分けて相続させることを主な内容とする上、これをAの意図どおりに実現するためには、自らの保有資産の種類や数、評価額の概略を把握している必要があるほか、従前被控訴人らやBが受けた生前贈与などの遺留分に関わる事情をも把握する必要がある・・・など、相応の記憶喚起及び計算能力を必要とする。
ところが、前認定のとおり、平成17年遺言当時のAは、多発性脳梗塞等の既往症があり、認知症と診断されたこともあり、記憶力や特に計算能力の低下が目立ち始めていたのである。そして、病気入院中でベッドに横になっていたAが、顔の前にかざされた遺言公正証書の案をどの程度読むことができたのかも定かではない。そうすると、D公証人の説明に対して「はい」と返事をしたとしても、それが遺言の内容を理解し、そのとおりの遺言をする趣旨の発言であるかどうかは疑問の残るところであり・・・、この程度の発言でもって、遺言者の真意の確保のために必要とされる「口授」があったということはできない。」